霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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常識が覆る ~匿名さんからの投稿です~

昔は常識だったのに、今では間違いだと訂正されていることが結構あります。

 

運動中は水分を取るなとか

疲れた時には甘いものを食べるなどです。

 

信じていたのに今さら間違いだったと言われても・・ですよね。

結局は、その時点で正しいと思われるにすぎないのです。

 

証明できなくても真実は変わらないですし、信じても信じなくても同じです。

 

肉体と重なる“幽体”や“霊魂”を証明できないだけで、無いとするのは早計かもしれません。

 

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大阿闍梨さまの答え ~うさぎさんからの投稿です~

グレートトラバースの田中陽希さん(全山人力登頂のプロ)が、比叡山千日回峰行

成し遂げられた僧(大阿闍梨さま)に質問していました。

 

「長く厳しい修行を成し遂げるには、どうすればいいのですか?」と聞いていました。

 

答えは、

「自分のためにやろうと思ってはいけない。支えてくれる人がいると思わなければ

成し遂げられない。」でした。

 

そうです、「支えてくれる人」とは、私達、契山館では数多くの霊魂方のことであり、

守護霊さま、指導霊さま、補助霊さまや龍の方々なのです。

感謝の気持ちを忘れず、日々、行の継続ですね。

どこまで成し遂げられるかは人それぞれです。

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死後苦しまないために ~匿名さんからの投稿です~

朝晩寒くなってきました。

名古屋の冬は風が冷たくて寒いです。

 

暑さ寒さのように、この世では当然の感覚も肉体を失えば感じないはずですが、死後も肉体の感覚を捨てきれず苦しむ人々がいるそうです。

 

死後の世界を学んでいれば防げるはずです。

 

死後苦しまないために水波霊魂学を知って下さい。

 

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もう、いくつ寝ると ~カピバラさんからの投稿です~

今年もあと一ヶ月あまりとなりました。

ほんとに一年があっという間に過ぎて行きます。

日々、時間に追われて生活している気がします。

今、生きている世界では、時間は当たり前に存在しています。

 

さて、死後の世界では時間は存在するのでしょうか。

死後の世界では、時間の概念がないという事です。

その人(霊魂)の感じ方次第で、長く感じたり、短く感じたり、そんな感じだそうです。

 

死後の世界のことは、物質の頭で考えてしまうと、理解するのが難しいです。

しかし、そういうものなのだと思えばすーっと頭に入ってきます。

 

まだまだ、死後の世界について学ぶことは、たくさんあります。

 

水波霊魂学、多くの方に知っていただきたいです。

 

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「シジフォスの岩」 ~匿名さんからの投稿です~

「シジフォスの岩」とは、ギリシャ神話の一節で、シジフォスは罰として、タルタロス(暗黒の世界)で巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられるが、あと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される、というくだりを指すのですが、それは、文字どおり、果てしない徒労を意味します。

昔、私がまだ学生の頃、スランスのアルベール・カミュという作家が、これをモチーフにして書いた『シジフォスの神話』で、人は、皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続けるという、人の人生の不条理を表しましたが、これを霊的な進歩向上のプロセスとして捉え直してみたらどうでしょうか?

たとえば、ある人が霊的進歩への道を歩んで行きますが、もう少しで頂上、つまり、自分がめざす到達点だというとき、もう少しだということで油断をすることにより、或いは、慢心して己を神のごとしと錯覚することにより、一瞬にして、真っ逆さまに一番下まで転落してしまい、また最初からやり直さなければならないということを表しているとも解釈できます。

 

また、人が死んでは再生する、生まれ変わりのプロセスとして捉えることができるかもしれません。特に、霊的カルマの例えとして考えると、意味深いものがあるように思われます。

 

つまり、人はこの世に生まれ、この世で成し遂げなければならない課題があるというとき、一生懸命、その目標に向かって突き進んでいくのですが、何かのきっかけで、霊的カルマ、すなわち、過去世で形成された否定的な衝動が湧き上がり、一瞬にして、その人の人生を狂わせ、破壊してしまうことになり、再び振り出しに戻ってしまうということを表しているというものです。

 

とにかく、この霊的カルマの呪縛は、ただ、一生懸命に生きるだけではとても断ち切ることのできないほど恐ろしいものであり、シジフォスと同じような果てしない徒労の苦しみを味わわなければなりませんが、それを克服することを、唯一、可能にするのが、霊的トレーニング、とりわけ、神伝禊法なのです。

 

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