霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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信仰心 後編  ~ナマケグマさんからの投稿です~

 

僕が若いころは、信仰心とは「自分の意思が持てないような人が何かにすがる心」と捉えていて、自分を信頼し意思が強く持った生き方をしている人には無縁のものと思っていました。

 

 

私の兄もいじめられやすい性格でキリスト教に出会い救われたと言っていたし弱い人間は信仰を持たないと生きていけないのだろうとすら思っていました。

 

そんな私が狭心症を患い死を意識したとき死に対する恐れから死後の世界を調べているうちに、契山館のホームページに出会いました。

 

 

「人間は、死後自分の幽体の状態に見合った所に行く」この言葉はとても衝撃的でした。私はホームページを夢中で読み、読めば読むほど矛盾点なくすべてが妙に納得できるものでした。そして今では会員として霊的トレーニングを日々実践するほどになっています。

 

 

合宿に参加し神伝禊法を日々実践しているうちに私の心というか感覚に変化が生じて行きました。それは自分を超えた大いなる存在を感じ涙し、その力により自分の幽体が成長している事への感謝の気持ちが芽生え不思議と謙虚で優しい気持ちになれるのである。僕は間違っていました、、

 

 

信仰心とは何かにすがる心ではなく、自分を超えた大いなる存在に気づき、大いなる存在と共に生きることを学び霊的な部分をも高めていく、霊的生命体である人間の生き方そのものである思う。

 

 

多くの人に人間は霊的生命体であるという事実を知ってほしいと思っています。肉体がなくなっても霊的に生き続けるという事実を、、そのために霊的な成長も必要なことも、、、

 

 

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