霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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空蝉(うつせみ)  ~匿名さんからの投稿です~

台風が去って再びカンカン照りの猛暑が続き、動くのも億劫になり、動作も緩慢になるなか、セミだけは、猛暑も何のその、元気いっぱいで、やかましいくらいに鳴き叫んでいます。

 

セミは、地中にいる期間が非常に長く、短い地上生活を思いっきり謳歌しているかのようです。もっとも、地上で生きる期間は、よく言われるように、たった一週間というのは誤りのようで、一カ月くらいは生きるようですし、地中にいる期間は、三年から十七年くらいの幅があるそうです。

 

さて、空蝉とは、生きている人間の世界、つまり、現世、この世、をさす言葉だそうです。そしてさらに、セミの抜け殻のような虚ろではかない状態、あるいは、はかない世界を意味するようになったということです。

 

この言葉はセミの短い地上時代をイメージさせますが、人間の人生をも連想させるのではないでしょうか? 人間がこの世で生きる期間は百年近くあり、セミとは比べ物にならないように見えますが、人の死後の霊魂としての生活は、何百年、何千年と続くようなのです。

 

百年足らずの空蝉、つまり現世のことしか考えず、その十倍も百倍もあろうかという死後の霊魂としての生活を無視する時、いったいどのような結果をもたらすのでしょうか?

 

信仰心というものを持たない人が多数の現代社会は、霊的な環境が劣悪になっており、人は、幽体という死後に使用する霊的身体が傷ついたり、穢れたりして不調になっていることが多いようなのです。

 

また、人は、死後、地上時代の善悪によって天国へ行ったり、地獄へ行ったりするのではなく、その幽体にふさわしい世界に行くということです。

 

ということは、死後、多くの人たちには辛く苦しい世界が待っているということになります。

 

だったら、死後、そうなったときに対策を打てばよいと言われるかもしれませんが、困ったことに、最初に入った世界がどこであるかで、その後の幸、不幸がほとんど決まってしまうようなのです。

 

つまり、死んでからではもう手遅れであり、対策は、今、この世に生きている間にしなければならないということです。

 

では、対策といっても、いったい何をどうしたらいいのか? 

 

水波一郎師の新刊『死後まで続く幸福にために』(オンデマンド版、キンドル版)は、そのような疑問に対して、丁寧に分かりやすく答えてくれる本です。是非、多くの方に読んでいただきたいと思います。

 

 

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