霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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初詣 ~匿名さんからの投稿です~

テレビや新聞によると、今年の正月も、普段は参拝者の姿もまばらで静かだと思われる各地の神社には、初詣のために大勢の人々がつめかけたようです。

 

日頃は、神社など見向きもしない人たちまでもが大勢参拝するということは、それが信仰心からではなく、単なる慣習であったとしても、神社が何かしら高貴な気や力に満ちたような神聖な所であるという漠然としたイメージを持っているのではないかと思います。

 

しかしながら、近年の神社は、残念なことに、そのような場ではなくなってきているようなのです。つまり、参拝すれば、そこには神社に仕える高級な霊魂がおり、霊的に高級な幽気が降りていて、それによって身体についていた穢れがとれてきれいになるというような霊的な価値のある場ではなくなってきているのです。

 

30年ほど前には、まだ、高級な幽気が降りているような神社が存在したようですが、今では皆無に近い状態だということです。

 

さて、どうして、そんなことになってしまったのでしょうか?

 

どうも、それは、物質の存在しか認めず、科学を妄信する人たちが増えて、真剣に神を信じなくなったことと、神社の神主自身が、本気で神を信じなくなったためのようです。

 

よって、神社には高級な霊魂がいないばかりか、逆に、不道徳な霊魂がいたり、邪悪な霊魂が居座っていることも多々あるようなのです。

 

ただし、そうとは言っても、今でも、神社へ参拝して現世的な祈願をすれば、その願いが叶うということがあるかもしれません。しかし、一時、願いが叶ったと大喜びしたとしても、それが、後々、大変な不幸を招くとしたら困ったことになります。

 

祈願の成就が、高級な霊魂ではなく、不道徳な霊魂や邪悪な霊魂の関与による場合は、大きな代償を支払わねばならないのです。かえって願い事が叶わない方が良かっとさえ言えます。

 

たとえ願いが叶っても、それに関与した悪い霊魂にずっと付きまとわれることになり、その後の人生において、思いもよらない災厄に見舞われた挙句、死後は恐ろしい下層の世界へ引きずり込まれることになる可能性が大きいのです。

 

とにかく、今の時代は、残念なことですが、初詣などに行って神社で気軽に願い事をすることさえ危険な時代になってしまったようです。

 

 

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