霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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酔生夢死 ~匿名さんからの投稿です~

「酔生夢死」とは、「有意義なことを一つもせず,むだに一生を終えること」という意味だそうです。

 

もし、霊魂や死後の世界が無いという前提で一生を送り、死んで、実は、死後の世界が有ったとしたら、つまり、人は、実は、霊的な生命体であり、数百年、数千年の魂の歴史があるのに、そのほんの準備期間にすぎない百年たらずの人生をすべてだと思い、やるべきことをやらずに死んだとしたら、その人は、まさに、酔生夢死、むだな一生を送ったことになるのではないでしょうか?

 

もっとも、死後の世界は、客観的には、絶対有るとも言えませんし、また、絶対無いとも言えません。

 

人は、普通、神を見ることはできませんし、霊魂を、死後の世界を見ることもできませんから、どこまで行ってもその確証を得ることはできません。

 

しかし、有ると思っていて準備をして、仮に、無かったとしても、ただそれだけのことですが、無いと思っていて、何の備えもせず死んで、有ったとしたら、それも言語を絶する恐ろしい世界が待っているとしたら、取り返しがつかないことになります。

 

死なないと結論が出ませんが、その時はすでに遅しということになりますから、今、それぞれの決断でどちらかを選ばなければならないのです。

 

さて、あなたは、有るというほうを選ぶのか、無いというほうを選ぶのか? 人という存在は間違うかもしれないけれども選択をしなければならない哀れな生命体なのかもしれません。

 

しかし、何も考えずに世の中の大きな流れに流されてはいられません。真実とは、常識でも、多数意見でもありませんから。

 

備えあれば憂いなし。今こそ、直感を研ぎ澄まし、己の内奥にある魂の叫びに真摯に耳を傾けるときなのではないでしょうか?

 

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【死後まで続く幸福のために】