霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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猫と食事-愛猫テリーの思い出4-

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(晩年のテリーさんです。)

 

その後、テリーは、特に思い出すことが何もないほど平穏な日々を送っていったのですが、それでも、しいて思い出を語るとすれば、それは食事にまつわることです。

 

最初は、固形フードか缶詰、それも一缶170グラムほどの赤身の安価なもので、一日、朝晩の二回というペースでよかったのですが、だんだん、だんだん、贅沢になって行ったのです。

 

年を経るにしたがって、固形フードも小粒でより高価なもの、缶詰も70~80グラムぐらいの白身のもの、とろみ仕立て、ペースト状のもの、そして、スープ仕立て、あるいは柔らかなゼリー仕立てのパウチに変わってゆきました。最終的には、わずか35~40グラムしか入っていない高価なものしか食べなくなりました。

 

そんな高価なものでも、一度、食べ残したものは、もう見向きもしないのですからたまりません。

 

そして、一個に入っている量が少ないためか、一日に何回も要求するようになり、あげくは、我々が食事するときに、当然、自分も食事にありつけると思っているのか、そばに来てじっと坐って待つのです。

 

じっとそばに座って訴えるような目で見つめられると弱いもので、スーパーへ買い物に行ったときなども、我々の食材よりも、テリーの喜ぶような魚類をまず探すようなことになってしまいました。

 

テリーは、肉は鳥のササミ以外は食べず、魚が大好きでしたから、手ごろな魚があれば必ず買って帰るのですが、それがまた喜んでもらえるかどうかが分からないのです。

 

嗅覚が鋭いですから、せっかく買ってきても、匂いを嗅いだだけで、気にいらないと、フンと横を向いてしまうこともよくありました。相手が人間ならどなりつけたいところですが、相手がかわいい猫なので何とも仕方がありません。

 

それと、年をとってくると、昼間はほとんど寝てばかりいるくせに、夜中になると元気になって動き始め、寝ている私を起こして食事を要求するようになったのです。夜、寝る前、そして、夜中に二回ほど、そして、朝という具合で、私もさすがに困ってしまうのでした。

 

こういったことを言うと、猫が嫌いな人から見れば、馬鹿馬鹿しいことのように思えるかもしれませんが、猫好きの私にとっては、それが特に苦痛に感じるということはありませんでしたし、それが仕方ないことにように思えてくるのでした。

 

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(この写真は、生きてます!)

 

自分でもよくわからないのですが、心の奥に、猫、あるいは動物に対する負い目のようなものがあるのかもしれません。人に気まぐれで飼われ、捨てられ、処分される多くの猫たちに申し訳ないという思いがあるのかもしれません。

 

ともかく、年にかかわりなく、食べ物に対する執着は恐ろしいものがあることを思い知らされました。まあ、それだから生き抜いてゆけるのかもしれません。

 

猫にとっては、いや、生き物にとっては、とにかく食べ物に有りつかなければ生きられない、何事も始まらない、という当たり前のことを改めて認識するのでした。

 

 

うちわから皆さんへ。猫と言えばこちら!

 

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