霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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信仰心 前編   ~ナマケグマさんからの投稿です~

 

先日、甥っ子が世話になっている社長が信仰しているとある宗教の本部に

行ってきました。

 

契山館の会員としては行きたくなかったが可愛い甥っ子の頼みなので仕方なく行ったしだいです。

 

この日もその宗教の本部に多くの人が集まっていて

 

「この人達はなぜ信者になったのだろう?多分、悩みが解決できたり

心が救われたからだろう」

 

私の父がその宗教の『ある技法』により左耳が聞こえるようになり信仰するようになったように、、、

 

その宗教によって救われた体験をすればその宗教を信仰するのは当たり前の感情で自然な事だと思うしやはり信仰には体験が必要なのである。

 

 

人間は、何か得体のしれない人の力ではどうしようもできない事への漠然とした恐れのような感情を持っていると思う。

 

 

それは死に対する恐怖心であったり 自然の力に対する脅威だったりする。

 

父が『ある技法』により左耳が聞こえるようになった時、

そう感じたのではないだろうか?そのような感情が信仰心の源なのかもしれない、、、 

 

 

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