霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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動物たちの怒り ~匿名さんからの投稿です~

人は生きるために、物質の身体の生命を維持するために、他の生命体を殺し、それを食べています。

 

「私は菜食主義者だ」という人がいるかもしれませんが、植物も動物と同様に生きており、いずれも幽体を持っていますから、殺してはいけないのは同じなのです。

 

食べられる生命体は、動物であれ、植物であれ、死にたくないであり、人は、生きるために、日々、罪を犯しているということになります。

 

このように、生きるのが肉体の本能である以上、基本的に、人は他の生命を殺すことを前提で生きるしかないというジレンマを抱えています。

 

しかし、考えてみますと、動物たちも他の動物や植物を食べて生きていますから、人間だけが責められるのは一方的だということも言えます。

 

『ガンバレ! 動物霊魂』によりますと、どうも、動物たちは、単に殺されるということに対して怒っているのではないようです。

 

動物が死ぬのは自然であり、たとえ、他の動物に食べられても、それは自然の掟であり、人間に食べられても同じことなのだそうです。生き物は、皆、他の生命を食べて生きるしかないからです。それについては諦めるしかないのです。

 

問題なのは、食べないのに殺すということなのです。

 

人は、自分たちの勝手な都合だけで、山や森や池沼を切り開いて、建物や道路や線路やダムなどを造り、多く動物や植物を殺しているのです。

 

そうなると、恨みが生じるのです。食べもしないのに子供が殺されたら、親は悲しみますし、怒ります。そして、強い恨みの念が生まれるのです。その結果、念というものを生み、人の幽体は傷つくのです。

 

特に、犬や猫などはかわいそうです。ペットとして生きてきましたから、人といっしょに暮らす習慣ができています。それなのに、気まぐれで飼われ、捨てられて、迷惑だといって簡単に殺処分されてしまいます。

 

それでは動物は混乱するのです。心理が混乱して死ぬと、動物であるのに、人間たちが行くような怖い世界に入ってしまい、もっと恐ろしい思いをすることになるのだそうです。

 

とにかく、動物たちの幸福や不幸が人によって大きく左右されているということを知らなければなりませんし、その責を負わなければなりません。

 

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