霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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『墓場の鬼太郎』から『ゲゲゲの鬼太郎』へ ~匿名さんからの投稿です~

かつて一世を風靡した水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』が、マイナーな貸本漫画の『墓場の鬼太郎』からの発展形態であるということは、ご存じでしょうか? もっとも、平成20年に、テレビで『墓場の鬼太郎』のアニメ版が放映されたようですから、ご存じかもしれません。

 

「ゲゲゲ」の鬼太郎が、正義の味方、ヒーローとして描かれているのに対して、「墓場」の鬼太郎は、顔を見比べてみるとよくわかりますが、薄気味悪く、生意気そうな、それでいて間の抜けたところのある悪ガキとして描かれています。タバコを吸い、町をうろつき、金儲けに腐心したり、人間を騙したり、誰かが酷い目に遭っていてもほったらかしてどこかに行ってしまったりと勝手気ままな存在なのです。 妖怪とは、基本的に、人間の法や倫理観に囚われない自由な存在として描かれ、人間が何らかの理由で彼らと関わった場合、多くはろくな目に合うことがないのです。

 

「人間は人間、妖怪は妖怪」であり、着の身着のままで自由に生きる妖怪と、社会に縛られて、なお欲望に溺れる人間との対比は、我々に人間とは何かを考えさせるような作風となっています。

 

それにしても、『 ゲゲゲの鬼太郎』のアニメは、驚くほど息の長い作品だと思います。テレビアニメとして、1960代から2010年代まで、各年代ごとに六つのシリーズが制作されたということです。

 

しかし、少年漫画週刊誌にデビューし、テレビアニメ化される過程で、時代を反映してか、『墓場の鬼太郎』のイメージは払拭されてゆきます。まず、「墓場」が「ゲゲゲ」に変わり、グロテスクさや、社会風刺の側面は抑えられ、人間に災いをもたらす妖怪を鬼太郎が人間の側に立って倒す勧善懲悪型のストーリーがメインとなり、鬼太郎の性格もより親しみやすい善良な個性となります。

 

変貌を遂げた鬼太郎は子供達の新たなヒーローとして人気を博し、妖怪ブームを生み出す原動力となっていったのです。

 

しかし、かつて「先住民族」であった幽霊族が人類に滅ぼされて、幽霊族の唯一の生き残りである鬼太郎が、人間の側にすり寄ることで、人気を得ることになったということは皮肉なことだと思います。

 

これが、もし、鬼太郎が幽霊族の末裔であることにこだわって、人類を他の全生命体の敵として徹底的にその非を責めるキャラクターとしてアニメに登場することは、到底、受け入れられないとしても、「墓場の鬼太郎」のキャラクターを守り続けていたら、どうなったでしょう? やっぱり、マイナーのままであったかもしれませんね。

 

しかし、私自身は、昔の人間ですから、そのゆったりとしたテンポには少しイライラすることがあるものの、「墓場鬼太郎」の方が風刺や独特のユーモアがあって味があるように思います。

 

なお、作者の水木しげるは、「水木」という登場人物に次のように言わせています。

 

<私は何かこの世界は、「人間の頭で理解できる世界」と「理解できない世界」とがあるような気がするのです。>

 

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