霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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入会前の霊魂に対する思い込み ~ヒスイさんからの投稿です~

 

霊魂 と聞くと、昔は幽霊のようなイメージしかなく、暗闇や事故現場、逆に人に混じって普通に歩いているんだとか、

または守護霊、指導霊といったことも聞いたことはありましたが、

いずれにしても単体で遭遇するようなイメージがついていませんか?私だけでしょうか。

入会する前の私はそんな感じでしたし、霊魂も霊も呼び方の違いぐらいにしか思っていませんでした。

今思えば、金縛りだのなんだの、霊的な体験談には興味はあっても、霊魂そのものに興味が行くことがなかったんですね。

 

自覚がなくても人間の肉体には幽体が重なっています。霊魂と一般に呼ばれる存在は肉体がない、ただそれだけで今生きている私達と何も変わりません。

死んだら霊魂に「なる」のではなく、肉体という物質の身体があってもなくてもどちらも霊魂なんですね。

 

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話は戻り地上の人間が会社やグループを作って集団で動くように、霊魂も組織を作ります。

私達契山館に対して専属で動く霊魂団もあれば、何かしら目的を持って好きにグループを作ったり、団体や少数で動く霊魂など質の高低や目的は別として、皆自分の自由意思で集まっています。

それらとは逆に強制的に従えさせられる集団もあるらしいのです。

 

生きる為にはお金が必要ですので、お金を得ることを目的にある程度は許容しながら働くことになります。

幽体のみの存在になると、衣食住を心配する必要がなくなり働くことがなくなりますので、霊魂の世界で自由に生きることになります。

ところが、霊魂の世界でも下に行けば行くほど念で痛めつけることが当たり前になるらしく、やり返すか従うか逃げるか。あまり自由とは言えないようです。

今のうちに幽体を鍛えておけば、そういった霊魂がいない階層に行けます。実習すると、何も見聞きできなくても、そう確信が持てるんですね。

 

霊魂学を知らない人が勘違いしやすいことはなんだろうと考えてみました。幽体の強さと念の強さは別です。幽体の質が低くても、念の強い霊魂はいます。

幽体の強さとは、肉体でいう体力にあたるので、肉体は体力、幽体は霊力ということになります。霊力と念力を同じように考えている人は多いんじゃないでしょうか。

幽体のみの存在だと、念を受けて八裂きやミンチになってもすぐ元に戻りますが、痛みがダイレクトにくるようです。そして、エンドレスです、、

肉体に重なっている幽体は深い傷がついても元に戻りませんし無痛です。もし何か感覚があったとしても、幽体の気持ちが正確にわからないように、幽体の痛みが正確に肉体に伝わるとは考え辛いです。

例えば頭痛がすると普通は風邪かな?とは思っても、殴られた!?とは思わないですよね。

大人数で寒冷地に行って全員が風邪をひいたとして、頭痛や咳、腹痛など肉体の個人差があるのは自然に理解できるのに、霊的なことになると何か単純に捉えがちなんじゃないかなと思いました。

 

幽体を鍛えると霊魂学の理解力が自然にアップするようで、今理解し辛くても、後々腑に落ちる楽しみができます。

とりあえず鍛えてみませんか?どんなもんかやってみたい、興味がある。それだけで十分ですので。

 

 

 


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