霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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「自分自身を知れ」 ~匿名さんからの投稿です~

『霊魂イエス』(下巻)に、<古人が「自分自身を知れ」といったように、人間は、やはり、自分の魂を見つめ、それを知ることからしか前に進めない>と記されています。

 

ともすると、人は、神は完全なのか、不完全なのかとか、完全なもの(神)が不完全なもの(人)を生み出すことはない、といったようなことを論じたりしますが、そういったことを論ずる以前に、まず、己の不完全さをこそ自覚すべきであると言われるのです。

 

神が完全か不完全かは、いざ知らず、人間が不完全だということは、己を見つめてみればすぐわかるはずです。

 

不完全だからこそ、必ず争いが起き、とどまるところのない強い欲望があるので、相手のものまで欲しくなるのです。そして、自己顕示欲や名誉欲の結果、社会に階層ができるのです。

 

人間が未熟であるうちは、社会も未熟であり、人間の精神の進歩に伴い、社会も進歩してゆきます。人間の意識そのものを変えずに、社会の仕組みばかり論じても、理想的な社会にはならないのです。

 

しかし、そうは言っても、自分を冷静に見つめ、実際に自分の心を変えてゆくことはとても難しいことのように思われます。そして、さらに、魂全体を成長させるとなると、どうしていいのかわからなくなってしまいます。

 

さて、どうしたらいいのでしょうか?

 

実は、それらを可能とする条件は、十分、整っているのだそうです。

 

高貴な霊魂がおっしゃるには、物質界の人間はとても幸運なのだそうです。物質界の人間ほど、厚い保護を受ける階層は他にないからです。イエス師をはじめ、その他のたくさんの高貴な霊魂方がその霊的成長に全面的に協力をしてくださっているのです。

 

というのも、物質界の人間が霊的生命体の進歩、向上の鍵を握っているからで、人間界こそ、高級な霊魂と邪悪な霊魂や未発達霊魂との接点であり、いわば、戦場なのです。人間が自由意思を行使してどちらの付くかによって、今後の人間と人間界が変化し、そして、霊魂の世界も変化するのです。

 

我々が、皆、このことを理解すれば、明るい希望の光が見えてくるはずです。

 

もっとも、人間は、己が何の努力もせず、高貴な霊魂方に依存してばかりではいけません。物質界の人間の一人一人の生き方が、それに関わる多くの霊魂の歴史を変えてしまうということを肝に銘じ、高貴な光をたよりに、日々の霊的トレーニングに励み、自分を根底から変えるための努力を積み重ねて行かなければならないのです。

 

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【霊魂イエス 下巻】