ダモクレスの剣 ~匿名さんからの投稿です~
去る3月11日で、東日本大震災から8年目を迎えたということで、テレビや新聞で特集を組んでおりましたが、震災の直後、新聞や出版物などで「ダモクレスの剣」というフレーズを何度か目にした記憶があります。
「ダモクレスの剣」とは、古代ギリシャの伝承で、ある日、廷臣ダモクレスが僭主ディオニシウスにへつらい「御主人様の幸福がうらやましい」というので「では、かわってみるか」と、自分の着物を着せ、すばらしい料理を食べさせた。ダモクレスはよい気持ちでいたが、ふと見ると頭上に鋭い剣が馬の尾の毛1本で吊るされていた、というものです
つまり、危険の上の幸福、栄華の中の危険などのたとえに使われており、大地震と原発の爆発の渦中、まさに、現代文明が危険の上の繁栄であることへの恰好のフレーズとして用いられたというわけです。
しかし、時間の経過とともに、そのような文言は忘れ去られ、直接、災危に遭遇され、被害を受けられた方々を除くと、我々は何事もなかったかのように日常生活に埋没してしまっています。
さて、かの「ダモクレスの剣」はどうなったのでしょうか? もう、危機は去ったのでしょうか?
いや、そんなはずはありません。目を開けてしっかりと見れば、そのままの状態で頭上にぶら下がっているはずです。今にも切れそうな1本の細い毛で吊るされたままで、それも、地震によって大きく揺れながら。
震災からの復興が進んでいるというものの、まだ、多くの人が苦しみの渦中にあり、放射能の影響も消えることがなく、さらに、追い打ちをかけるように日本列島は地震で揺れていますが、現実を見て見ないふりだけはしないようにしたいと思います。現実を直視することは辛いことですが、勇気を振り絞って立ち向いたいものです。
ところで、霊魂学を学ぶ者にとって、物質的な環境以上に気になることは霊的な環境ですが、その霊的な環境も、どうも、悪くなる一方のようです。
物質の剣のみならず、霊的な剣というものがあるとするならば、いずこにあるのか、また、その意味とは何かが気になるところですが、その答えは、やはり、霊魂学の中にしかないのではないでしょうか?
※掲載文章は記者の個人的見解より記しております。