霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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生きる目的 ~匿名さんからの投稿です~

人生は何のためにあるのか、人は何のために生きるのか、という問いに対して人はどう答えるのでしょうか?

 

自分が幸せになるためだとか、皆が幸福に暮らせる世の中を築くためだと答える人がいるかもしれません。そして、死後の世界や霊魂の存在を認める人達の中には、それは霊的な進歩のためだと答える人があるかもしれません。

 

しかし、これらの答えは、間違っていないように見えても、人間が自分の正体とは何かがわからないことを表しているように思われます。霊的進歩のためだというのも、一見、正しいように見えて、進歩というものの具体的な中身が欠けているからです。

 

人間は、一人一人、個性が違っていて、一般論、抽象論では語り得ないのです。肉体の脳の意識の個性のみならず、霊的身体である幽体の意識や霊体の意識も人によって全く違うようなのです。

 

得意、不得意や、好き嫌いといった肉体の脳の意識の個性については、専門家が分析で
きるかもしれませんが、複数の過去世の心情をも内に持つ幽体の意識の複雑さと多様性に至っては、一体、誰が分析できるのでしょうか?

 

誰もできないとすると、ただ未熟な意識と知識、少ない経験で推測するだけであり、人が自分の生きる目的だといっていることは的を外していることになります。

 

よって、人は、結局、生きたいように、欲望のままに生きて終わってしまうか、宗教経典の教えを受け入れ、それに自分を合わせて生きることになるのです。

 

自分をただの物質的な存在であると考えている間は、自分の正体がわからず、自分の生きる目的がわからないとすると、人は、どうしても霊的な身体、特に幽体とその意識を知らねばならないことになります。

 

ただし、幽体や霊体は、それらが成長しないかぎり、その姿を現してくれません。よって、その成長のための鍵が必要なのですが、その成長の鍵こそが神伝の法、とりわけ、神伝鎮魂法なのです。

 

 

神伝鎮魂法 - 幽体の救い (MyISBN - デザインエッグ社)

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神伝鎮魂法: 幽体の救い

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