冬 ~匿名さんからの投稿です~
名古屋の街から見える山々が白くなってきました。
風も強く冷たいです。
朝、息が白くなることもあります。
なんだかんだと言われても毎年必ず冬が来ます。
それが当たり前と思っています。
当たり前が、当たり前でなくなるその時まで、当たり前だと思っています。
当たり前が崩れた時に、ようやく気付いても遅いのですが
それでもそのうちに慣れてしまい、また別の当たり前が出来上がります。
そんなことを繰り返して、
人は指導してくれる霊魂から遠くなってしまったのでしょうか。
カラー絵本です。
kindle版発売中
枯葉 ~匿名さんからの投稿です~
二階の窓から外を見ると、ついこの間まで、色づいて風情のあったケヤキの葉っぱは全部散り、竹ぼうきを逆さまにしたような格好で寒そうにたたずんでいます。
このケヤキの木、もう20年以上も前に、竹薮で芽を出していたのを持って帰って裏庭に移植したものですが、もう二階の屋根まで届くほど大きな木になってしまいました。
しかし、ここまで大きくなると、色々と問題が起こってきます。葉っぱが裏庭や畑に落ちると、土に返り、腐葉土として野菜や植物の栄養源になりますが、風向きによっては、道路や隣の敷地内にまで飛んで行き、近所から嫌な顔をされ、陰口を叩かれることにもなります。
かつては、落ち葉は腐葉土として田畑の肥料などに活用されたものですが、近年は、田舎でさえも必要以上に地表がアスファルトやコンクリートで舗装されてしまったために、循環のサイクルが遮断されて、新緑と紅葉の時のみ注目されるものの、どこかに捨てに行かなければならない厄介なゴミになってしまったのです。
我々人間は、見かけの美しさや、目先の便利さにのみ心を奪われ、都合の良いときに、都合の良い部分だけを切り取ろうとしますが、物事には物質的なことであれ、霊的なことであれ、そこには法則というものがあり、プラスの部分ばかりではなく、マイナスの部分が必ずあるように思います。
勝手に都合の良い部分だけを切り取り、他は切り捨て、決して全体を見ようとせず、目をそむけ続けると、いつか、そのしっぺ返しを受けることになるのではないでしょうか?
人間の一生というものを考えても、若い頃には力がみなぎり、溌剌としていた身体も次第に衰えてゆき、老いて枯れ木のように朽ちてゆきます。そして、必ず死というものがやってくるのです。
しかし、現代人は、ただ、生き永らえるということにだけに過剰な価値を与え、誰にでもやってくる死という現実から目を背けようとしています。
死ねばすべてが終わりではなく、死後、新しい生活が待っているとするなら、その準備を怠った報いは必ずやってくるに違いありません。
幽体離脱 ~カピバラさんからの投稿です~
みなさんが幽体と聞いて、真っ先に思い浮かべる言葉は何でしょうか?
やはり、幽体離脱ではないでしょうか。
寝ている時に、自分の体から飛び出し、眠っている自分の姿を見たというような話を聞いた事があります。
肉体と重なって生きている幽体は、生きている間に肉体と離れてしまってはいけないのです。
幽体の一部が肉体から離れてしまったり、ずれたりすると、地上にいる悪い霊魂にイタズラされる可能性もあるそうなんです。
「幽体離脱」・・・霊魂学では、大変危険なことなのです。
見えないし感じられない霊的なことは、私たちはにはわかりません。
だからこそ、霊的な正しい知識が必要です。
霊魂学は、私たちに霊的な真実を教えてくれます。
かなり昔に名古屋支部で作った動画です。
年末 ~招きネコさんからの投稿です~
年末も近くなり・・・長く放置してきた住所録の整理をしてみました。
今まで、関わってきた人の数・・多いのか少ないのかは分かりませんが、薄く長くつながっている人達。
いまや、年に一度の遣り取りは、お互いの生存確認をしているように思います。
こうして幸せ家族も多く見かけますが、幸せであるほど霊的な事に気が付かず、不幸であるほど霊的にも辛いんじゃないか・・そんな世の中を見ているように思えました。
こちらをクリック!!!!!