霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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ふせん ~招きネコさんからの投稿です~

何度よんでも、わかったような気がしなくて。マーカーを引いたり、付箋を貼ったり・・


受験勉強でもしているかの本に様変わりしてしまっている、霊魂学関連の書籍の数々。


これも、あれも気になる・・で、結局、何が書いてあった?何が言いたいのか?


で、もう一回、もう一回と読むことに。文字をなぞっているだけなのでしょうか・・

 

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オーラに色って? ~匿名さんからの投稿です~

オーラとは、近頃では、ある人物などが発する独特な雰囲気、存在感などといった意味にも使われているようですが、それは論外としても、オーラについては、様々な見解があり、諸説が入り乱れています。

 

『オーラ』という言葉は、元来、神智学などにおいて使われていたもので、それが現代ヨーガやニューエイジ(日本では精神世界などと呼ばれた)に取り入れられ、さらにスピリチュアルな人たち受け継がれたようです。

 

そこでは、オーラには色があって、その色は、その人の健康状態や心理状態、あるいは、その人の心の特質や状態を表していて、それを分析、あるいは、診断をすることによって、その状態がわかるといった説が流布しているという状況を踏まえ、そのことの真偽について考えてみたいと思います。

 

まず、水波霊魂学では、『霊的能力の謎』において、オーラとは、「幽体という霊的な身体や、霊体という霊的な身体から出ている、光りのようなものの事である。」と定義づけられています。

 

つまり、オーラには、幽体オーラ、霊体オーラがあるということです。(そのほか、神体オーラがあるとされますが、特別なオーラなので、ここでは割愛します。また、肉体から出るモヤモヤとしたものを「肉体オーラ」という方たちがいますが、これも除外します。)

 

そして、この幽体オーラや霊体オーラは、物質ではないので、本来は、肉の目で見ることはできませんし、表面の心の状態、つまり、肉体の脳の性質を表すことはありませんし、それが物質界の色となって表れることはないとされます。

 

よって、霊能者と言われる人が、オーラの色を云々するのは、幽体の視覚で見たものを肉体の脳が表現しているのではなく、それは霊能者に関与している特殊な技術をもった霊魂によってもたらされたビジョンであり、その霊魂の持つ技術の差によって様々な異なる色として示されるため、実際の色を表すものではないということです。

 

そうなりますと、オーラの色による分析や診断は正しくないということになります。

 

それより大事なのは、オーラがどの程度伸びているのか、どの部位が伸びにくいかといったことなのです。

 

そして、オーラでも特に幽体のオーラの状態を診断することが重要になります。霊体オーラは、高貴なオーラですので、霊的トレーニングを行っている人でないかぎりは、あまり出ていないので、分析の対象にはならないのです。

 

また、幽体オーラが表しているのは、幽体という身体の状態であり、心の状態ではありません。よって、幽体オーラの状態を見ることは、肉体でいえば、健康診断のようなものなのです。

 

とにかく、色がどうこうではなく、幽体オーラが大きく伸びることが理想であり、そのためには、幽体の状態を良くすることが大事であり、そして、それを可能にするものが霊的トレーニングなのです。

 

(オーラについてより詳しくお知りになりたい方は、水波一郎師監修のHP『霊をさぐる』の中の「霊をさぐるためには?」の<霊魂学の主張(オーラ編)>をご覧ください。)

 

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モタちゃん  ~招きネコさんからの投稿です~

もたもた・・モタちゃん

 

玄関を前にして、カバンの中から家の鍵をさがす・・

出かける前に、あれが足りない・・とバタバタする準備のわるさ

 

ひと様に迷惑をかけないように、気を付けるようになったと思われますが、いろいろ苦手なコトが多いネコ(私)です。

 

家族からは、「また・・・」と呆れられ、、、その都度凹むのですが、相変わらずです。

習性は自分で直すしかないですね。

 

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幽体の悲劇: 人は幽体と共に生きている Kindle版

 

 

 

 

 

難しいこと ~招きネコさんからの投稿です~

例えば、「修行をすることで、こんなに幽体が輝くのですよ」と、「こう!」と示すことができたなら、話が早いと思います。

 

「オーラを見せてやる!」と言っても、それは、自分の’つもり’であって、誰にも分からない。

 

それが地上のいい所でもあり、悪いところでもありますが・・

 

だけれども、伝えていくためには、言葉で表すしかない、喋るしかない。以心伝心なんてムリですもんね・・

 

伝える事の難しさを感じます。

 

 

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めざめる為に ~うさぎさんからの投稿です~

隣りの部屋でテレビを見ていた家族の会話です。

 

「また、本の映画化がされるね。これ困るよね。作者の思いが変えられることになるよね。脚本を書く人や監督が感じたように映画化されるので、本来の作者と意図が違ってくると思うよ。」と話していました。

 

「ああ、そうだ、本当だ。」と思いました。

 

私も水波先生の本を読んで感動したから、他の人に勧めてはいるのですが、水波先生が意図されていることをなかなかうまく伝えられません。

 

やはり、あなた自身が是非とも手に取っていただいて読んでいただきたいと思います。

 

一冊2千円前後(キンドル版はほぼその半額)しますが、ご自分の心で感じていただくことが一番だと思います。

 

私のおすすめは、『神体』、『霊魂イエス(上)』、『霊魂イエス(下)』、『龍』です。

 

なお、キンドル版のみですが、最新の『二本足の霊魂』もおすすめです。

 

どれか一冊でも読んでいただきたいと思います。どれも、今まで世に知られていないことばかりです。

 

 

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顔が変えられる? ~匿名さんからの投稿です~

よく、SFやファンタジーなどでは、エイリアンや魔術師などが他人の顔や姿になりすまして、人をだましたり、窮地に陥れるというシーンがあります。

 

もし私たちが自分の顔を自由に変えられたら、人を騙そうとする不埒な輩もいるかもしれませんが、誰もが自分の顔に悩むこともなく、他人の顔をうらやむこともなく、わざわざ整形手術をする必要もなくなるように思います。

 

この世では、そんなことは夢物語でしかありませんが、幽質の世界、つまり、死後の世界では、驚いたことに、それが可能のようなのです。

 

『死後の世界で恋をして』には、そのような不可思議な幽質の世界の実情について書かれておりますので、詳しいことは本書を読んでいただくとして、少しだけ紹介しておきたいと思います。

 

本書の主人公(男性)は、若くして事故死するのですが、幽質の世界の住人になってからしばらくして、いるはずのない、物質の世界で婚約者であった女性がいるのを発見するのです。

 

しかし、それは、実は、物質の世界の婚約者の女性本人ではなく、別の女性(霊魂)が自分の顔を婚約者に顔に変えていたのでした。

 

この女性(霊魂)は、やがて、顔をもとの顔にもどすのですが、ややこしいことに、もどした顔と同じ顔をした別の女性(霊魂)も現れるのです。

 

そして、さらに、もうひとり同じ顔をした女性(霊魂)が現れてくることになるのです。

 

だんだん、読んでいる方も頭が混乱してくるのですが、幽質の世界において、顔や姿というものは、自在に変えられるのであり、どれが本当の顔かという問い自体が意味をなさなくなってくるということなのです。

 

なお、最初、別の女性が婚約者女性の顔をしていたという理由は、彼女が主人公に気に入ってほしかったので、主人公が一番求める顔を作ったということのようです。

 

さて、これは一つの例ですが、幽質の世界に入ると、このように物質の世界との大きな違いに面食らってしまうことばかりのようです。物質の世界の常識は、幽質の世界の非常識ということになります。

 

とにかく、人が死んで幽質の世界に入るということは、砂漠の真ん中に幼児が一人で放り出されたようなもので、導いてくれる霊魂がいなければ、どうしたらいいのか途方に暮れてしまわざるを得ないのです。(もっとも、悪い霊魂がやってきて、恐ろしいところへ連れてゆく可能性はありますが)

 

ですから、生前に、守護、指導の霊魂と接点を持つことが大事なのであり、接点を持つためには、霊的トレーニングによって、幽体を鍛え、高級霊魂から見えるようにしておくことが大切なのです。

 

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