霊魂学 ときどき ねこと龍と名古屋のことと

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学生時代 ~匿名さんからの投稿です~

センター試験ですね。

みんないっぱい勉強したのでしょう。

 

この先もまだまだ勉強は続くと思いますが、

人として必要な知識は教科書の中だけでないはずです。

 

霊魂学を知ると、もっと早くに学んでいれば良かったと思います。

 

無駄な悩みや労力、そしてお金も使わずに済んだのにな~

 

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【霊魂は居ると思いますか?】

 

競争社会の与える影響 ~カピバラさんからの投稿です~

競争社会で生きる私たち、好きでそんな社会に生きているわけではありませんが、世の中の仕組みがそうである以上、仕方がありません。

 

小さい時から、他人と自分を比べて生きています。

人は他人と自分を比べては、時に相手の人に、すごい恨みの思いや怒りの思いを持つ事があります。

 

そんな時、肉体と重なって生きている幽体からも思い()が出るようなのです。

激しい思いであればあるほど、相手に念が飛んでいくらしいのです。

 

念を飛ばされた人は肉体的には何もわかりませんが、その人の幽体は念によって傷ついてしまうそうなんです。

 

私たちの出す激しい思い()には、幽体に悪影響を及ぼすかもしれないのです。

 

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 【死後まで続く幸福のために】

 

幽体の悲劇 猫

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『幽体の悲劇』

 

人間は、死後『幽体』という体でいきていくそうです。

今は、肉体と重なって過ごしているそうです。

現在、地上の幽気が大変汚れているそうで、幽体もまるで排気ガスの中で生活しているような状況なのだそうです。

その影響で、幽体が汚れてしまっています。

肉体はお風呂に入ったり、不調ならば病院に行ったりなど、対処をされるのですが、幽体は放置プレーです。

 

『お風呂に入らず』『病気になっても病院へも行かない』自分がそんな生活をしていると考えると何とも言えない気持ちになります。

 

現在の人は、日々の生活・仕事が優先。当然だと思います。

技術の進歩で、豊かになっていくが、幽体はどんどん『つらい思いをする』方向へ進んでいっているように感じます。

 

以前の人間ならば、この手の話に耳を傾ける人も少なからずいたのかもしれません。

 

しかし、今は聞く前から『なんか怪しい』『騙される』『そもそもどうでもいい』『私の貴重な時間をつぶさないでほしい』などなど、とても実際に起きていることを知れる状態にいる人は非常に少ないのかもしれません。

 

今、このブログを読んでいただいているあなたはすごくラッキーなのかもしれません。

 

もし、あなたの心の中にほんの一ミリでも『死後の世界』があるかもしれないと思っておられる方は、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 

死後の長い生活があるのならば、地上に生きている間に準備が必要なのかもしれません。

 

まさに・・・・・

 

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リスクヘッジ!】

 

 

 

旧正月 ~匿名さんからの投稿です~

お正月気分もすっかり消えてしまいましたが、

アジアの国では旧暦で新年のお祝いをします。

日本でも旧暦でお祝いする地域もありますね。

 

旧暦のお正月は2月5日です。

太陽の歴と月の暦で違うようです。

 

このように基準とする対象が違えば常識すら異なりますが、

霊的な真実は人の考え方や認識で変わることはありません。

 

霊って付くと、祟りや幽霊の事に思われるけど、

霊的な真実は、法則や成長にも関わる大事な知識なのですよ。

 

 

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「霊魂に聞くⅡ」

くろ くろ 猫

 

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ポテト、うまいです!!

 

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わたし、なんで黒いんですかね?

 

もし、違う色だったら・・・・

 

もうちょっと、かわいい声だったら・・・

 

もっと、食べ物、もらえたかも・・・

 

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私、もらえます 毎日・・・

 

 

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【真実を求めて】

瞑想の目的 ~匿名さんからの投稿です~

私が霊的な世界に関心を持ち始めたころ、最初にやり始めたのが、市販本を参考にしての見よう見まねの瞑想だったように思います。

 

そういった本には、瞑想とは無の境地になることだとか、空の状態になることだと書いてあったり、一方で、忘我の状態になったり、恍惚状態になり、神秘的な体験をすることだと書いてあったりで、何をどうしたら良いのかわからなくて、とにかく、目を閉じて、しばらくじっとしていることにしました。

 

でも、実際にやってみると、無どころか、次から次へと雑念が湧いてくるばかりで、挙句は、忘我というより、居眠りをしてしまう始末でしたが、心の底には、きっと、そのうち、何か、神秘的な体験ができるに違いないという期待感があったので、何度も途中でやめようと思いながらも継続したのでした。

 

しかし、その後も、何の変化も起こらず、だんだん、何のためにやっているのかわからなくなって、結局、頓挫してしまいました。

 

ですが、後から思うと、何も起こらなくて良かったのだと思います。後に、水波霊魂学を学ぶことによって、自分が大変間違ったこと、危ないことをしようとしていたことが分かったのです。

 

詳しくは、「瞑想の霊的危険」をお読みいただきたいと思いますが、瞑想とは、空になったり、神秘的な体験をすることが目的ではなく、自分と守護霊、指導霊などの高級霊魂方との交流を図るための重要な手段だったのです。

 

言い換えると、肉体と幽体が重なっていて見えにくい自分の身体を、オーラを安定させることによって高級霊魂から見えやすくし、その高級な気を受けるためのものであるということです。

 

人の意識は、変化しながら存続し続けるものです。ですから、瞑想の目的とは、無になることでも、空になることでもなく、意識を静止させることが最も大切なことであったのです。

 

心を平静にし、緊張せず、それでいてリラックスしすぎず、意識を一定の状態に保つこと、そして、こうした状態を一定期間、高級な霊的空間で継続することが、霊的に価値の高い瞑想方法であるということです。

 

ともかく、霊的な環境が著しく悪化した状況の中で、師にもつかず、我流で神秘体験を求めるために行う瞑想が、不道徳な霊魂たちの格好の餌食であることを知るにつけ、もし、水波霊魂学に出会うことができなかったとしたら、一体、自分はどうなっていたであろうと思うと、今でも、背筋が寒くなる思いがします。

 

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『瞑想の霊的危険』